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zoom RSS 人生をどう生きるか

<<   作成日時 : 2010/07/15 23:44   >>

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「人生をどう生きるか」・・・・・ふと、そう思ってから勢いで進んできた農業への道。

 道職員として勤務していた5年前。日々業務をこなしている合間に眺める外の景色を見ると、晴天日などには「何でこんな天気なのに建物の中に閉じこもってネクタイ締めてパソコンに向かっているんだ?」という素朴な疑問を感じたものである。学生時代に初めて農業に接し、前職で農家の現場を周り、今(その当時)は農業行政に携わっている・・・もしかしたらこのまま自分が農業をやるという選択肢も自然の流れなのかも知れないなどと、様々な困難や課題を抜きにして勝手な考えを抱き始めていた頃でもあった。
 何年も前に義父が病気で倒れて手術したり、数年前に父が病気で手術や入退院を繰り返している現実は、どちらもサラリーマンとして精一杯過ごしてきた結果こうなってしまったものなのか、単にそういう運命だったのか、第二の人生と言われる時期を目の前にして体が言うことを聞かないとはなんて皮肉なものだろうと思ったこともある。
 農家の苦労、生き様などは到底自分が知り得ることができない大きなものであろうが、漠然と80代か90代と思える老人が曲がった腰のまま畑で鍬を使っている姿が目に焼き付いていて、そんな姿が羨ましく思っていたこともある。
 農業への転身にはほかにも様々な想いが積み重なり、考えるだけなら誰でもできるが、そこから一歩踏み出さないで後悔する人生は送りたくない、一度きりの人生、正直に一生懸命に生きていきたいと思い、夫婦で話し合った末に出した結論が「農業」であった。
 公務員の家庭で育ち、同じく公務員として勤務していた自分が突然「農業」をやるので退職すると聞いたときの両親は信じられない思いでいっぱいだっただろう。特に母は口も聞かないほど怒っていたのを覚えている。そんな時に最初から自分の思いを尊重してくれたのが父であった。その後は時間が経過するにつれ、立場が逆転したかのように母が応援してくれて、父が小言を言う時期もあったような気がするが、いずれにしても夫婦で頑張ってやっていくならやれるだけやってみろという感じで見守り、結果として様々な支援をしてくれたのも父であった。
 サラリーマン時代には子供の面倒など一度も見たことがないのではと思えたほどの父が、孫に会うためなら運動会や学芸会など自分の子供の時は見に来たことがないのがウソのようなくらいに札幌〜赤井川を行き来していたものである。
 そんな父が病気で入退院を繰り返すようになって約一年。急に状態が悪くなり、孫と一緒に見舞いに来るように母から言われたのがつい先日。何とか孫と息子夫婦が会いに来たのがわかった様子で一安心。それほど良くはなくてもしばらく入院しているだろうから、近々孫を連れてくるよと話したのもつかの間、その2日後に父が他界した。
 いずれなるようになるとはわかっていてもあまりに急な出来事であり、その後はバタバタと日が過ぎていった。

 あらためて「人生をどう生きるか」という自分が一番最初に農業への転身を考えたときの言葉が思い浮かんだ。

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